2016/07/22 11:04

『バカな男』


その男は夏の真っ盛りにクリスマスカードを送って来たらしい。
こんな面白い事を思い付くとは……………
その男はホントにバカなのか?
ひょっとしたら紙一枚の差で天才なんじゃないか?

漢字時計の動きを司る紙一枚分の隙間。
私はその男に親近感を覚えた。
その発想を先に越された私は、悔しい気持ちが未だ抜けない。

『夏木マリさんの二の腕』



※歌詞
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馬鹿な男
クリスマスカードを送ってきた
夏の真っ盛りに
馬鹿な男
まだ生きてたのね
今もたぶんきっと馬鹿ね
馬鹿な男…

単純な男
ボクシングをやっていたの
負けてばかり
それで諦めたの
馬鹿な男
それから今度は
フォーク歌手になると言い出してさ
馬鹿な男
それもまたやめて
役者になる
そう言って笑った
馬鹿な男…

馬鹿な男
ステーキが好きで
付け合わせの
サラダもたいらげた

馬鹿な男
白いTシャツが
やけに似合う
馬鹿な男…馬鹿な男


馬鹿な男 
私のことを愛していた
どうもそうらしい
馬鹿な男
私と寝た後
私の名前を
二の腕に
刻んだ男
馬鹿な男…

馬鹿な男
ある真夜中
寝ぼけたまま
わたしを抱いて
ママと呼んだ
馬鹿な男
馬鹿な男

恋なんてすぐに
冷めるものを
馬鹿な男

馬鹿な男
馬鹿は死なない限り
馬鹿は治らないの
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と言う歌から拝借した。

バカな男、
真似をして、元旦に暑中見舞いでも送ってみようか。
それを受け止めて下さる方との廻り合いは今のところ未だない。

この歌の歌詞を読んで行くと、ホントにバカな男だ。
実在したのだろうか?

妄想の中の存在でもいい、面白ければ。
バカに生きれたら人はどんなに幸せであろう。

朝寝、朝酒、朝湯が大好きな伝説の人。
それで身上を潰した彼は実在したのだろうか?
実在していて欲しい。

自分には出来ないがそう言う人間には何故かホッとしてしまう。

『馬鹿の定義』


馬鹿の定義とは何ぞや?

学校の成績が悪い人の事なのか。
もしそうで有るならば、学校の成績の定義を考えてみよう。

成績の良し悪しは試験の結果である。
では試験とは何ぞや?

例えば歴史の試験。
教科書に書いてある、昔、誰かが調べてそれが正しいと定められた
過去の事実を暗記して、定められた時間内に答案用紙に書くこと。

例えば数学の証明問題。
過去に誰かが解いた方法を用いて、それを根拠に説明する事。

例えば化学の試験。
過去の研究者が発見した事実を暗記して答案用紙に書くこと。

例えば………………
前述は多少強引な解釈であるが、キーワードは『過去の事実』。

過去の事実を答案用紙に書き込む事が学校の試験である。
であるならば、時間こそ掛かるが誰にでも出来る事の様な気がする。

以前、会計事務をしていた時に思ったのが、
経理と言う仕事は『数字の作文』であるな、と、強く感じたものだった。

企業の金の流れを解りやすく述べるのが経理の仕事。
もっと云うと、過去の金の流れを記す事が経理の仕事である。
更に強引な解釈をすると、会計士の仕事は過去の仕事である。と、考えられる。

『我が輩は馬鹿である』

馬鹿の定義通りに解釈すれば我が輩は馬鹿である。
それは小学校の時の国語の試験での事。

『雑木林』を『ざつもくりん』
と読んでしまった!

それだけでは無い。
『船長』を『ふねなが』、『交じり毛』を『こうじりもう』など馬鹿まる出しだ。

何でも簡単に調べられるインターネットと言う便利な道具で調べても
なかなか見つけられないのだが、ついこの間、国会か東京都議会の答弁で、

『ざつもくりん』と読んだ代議士がいた!
私が先に開発した笑い話なのに、ちょっと悔しい。

『ざつもくりん』の読み方を商標登録できるならしたい所だ、
使用権で彼と争ってみようか、私が先に開発したと。

でも、証拠がない。母親の記憶では裁判では証拠にならない。どうしようか?
それより、こんなクダラナイ妄想は止めにしよう。

でもひとつ言える事は、
『雑木林』を『ぞうきばやし』と読める常識のある大人達にとって、
『ざつもくりん』とはなかなか読めないと思う。ましてや『ふねなが』なんて。

今さらながら私は、天才だった。と、思ってしまう。
何の固定概念も無いことは新しい発想を生む。

子供は天才なのだ。

ある時、テレビ番組で外国人の絵の展覧会を取材していた。
リポーター曰く
『こんな絵なら子供の方がよっぽど上手い!』

とのコメントにその画家は
『そりゃそーだよ!子供より上手く絵を描ける画家なんていやしないよ!』
流石!!!

子供は天才。

この事実を解って絵を描いているその画家に脱帽である。
やはり子供は天才なのだ。

『天才の定義』

では天才の定義とは何ぞや?
私の事か?

それは図々しいので、真面目に考えてみるが、よく解らない。
一つのアイディアであるが、未来を予測出来る事としたらどうだろう?

未来の事を予測する事に成績は無いのだろうか?

ビジネスを立ち上げて成功させる事が一つの
未来予測の成績になるのではないか?とは考えられないか?

これもまた強引な解釈であるが、
経営コンサルタントなんぞは未来の仕事なのであろう。

ビジネスの結果は未来の事だから誰も解らない。
だからワクワクするのだろうか。

天才の定義が『子供』とするならば、人は日を追うごとにバカになって行く。
バカにならない方法はないのか?

それは年を取らない方法はないのか?
と言うくらい難しい問題なのかも知れない。

若くいる事がバカに成らないと言う事なのか……………
若くいる事。私にとってはバイクに乗る事か?

二十歳の時に中古で買ったイタリア製のバイクを今でも所有している。
そのバイクにまた息を吹き込めば二十歳に成れるのか?

戻れるのか、でない。
成れるのかである。
試してみよう。

結局、二の腕の彼は『バカ』なのか『天才』なのか確かめようがないので、
なんとも言えないが、
いずれにしても『紙一重』である事には変わりはない。

今私が彼に会えるとしたならば、こう伝えよう。
愛した名前は二の腕でなく、手首に漢字時計をあしらおう。


バカな男  小柳 健一