2016/08/25 13:44

『刀』




刀と言えば、日本刀である。

しかしその日本刀を語らせてもらう前に、昔、一世を風靡した、
『KATANA』と言うオートバイの話をさせて頂きたい。

デザイナーの仕事とは何ぞや?と言う話である。

SUZUKI社製の大型バイクで、
1100ccと750ccの二種類の排気量のモデルが発売された。

▼1100cc


今現在であってもその美しさは色褪せず、
唯一無二の存在感を放つ伝説のバイクである。

今でこそ、大型バイクの免許証は教習所で取得出来る様になってはいるが、
その『KATANA 』が一世を風靡した時代には教習所では免許証を取得出来ず、
皆、免許センターに直接試験を受けに行かねばならなかった。

おまけに大型バイクは750cc迄しか国内販売はされず、
1100ccのモデルは逆輸入商品として扱われ、
高い税金を上乗せされた高嶺の花の高価なバイクで有った。

更に国内にはクダラナイ安全基準等があり、
その規定に準じて生産された750ccのモデルは
本当に醜いバイクになってしまった。

▼750cc



当然の事ながら、
美しさに惹かれて『KATANA 』を購入したユーザー達は
やっと手に入れた750ccのモデルを1100ccそっくりに改造するわけであるが、
一番のカッコ悪さのハンドルを1100ccの物に交換し、警察に捕まるのである。

これが、現代の『刀狩り』である。

1981年に発売された『KATANA』は大人気を誇り、
30年以上も経った今でもその人気は衰えず、
中古車市場でも新車以上の値段で取引をされる事が珍しくない。

工業製品の宿命で有るのか、
毎年、新型モデルが発売されて、何れは生産が終了するわけである。

御多分に漏れず、『KATANA 』も生産の修了の時期をむかえ、
新車の購入が出来なくなった。

人の心理とはややこしいもので、
買えなくなると思うと余計に欲しくなってしまう。
よって、中古車市場の高騰を招く訳である。

ここで、SUZUKI社が行った商売が物議を醸すのである。
雑誌記者の言葉が今でも心に響く。

『大喜びするKATANA ファンと同じくらいの、イヤ、
それ以上の悲しむKATANA ファンが居ることだろう。』

中古車市場の高騰を目の当たりにしたSUZUKI社は、
全く同じバイクを再生産したのである。

二度と手に入らないから価値があるものなのに、
再販してしまったら価値が下がってしまう。

商売とロマンスの微妙なバランス。
SUZUKI社も悩んだであろうが、どちらかと言うと私は悲しく思った派である。

近年、イギリスやイタリアの名車、『ミニクーパー』や『フィアット500』が
メーカーによってリメイクされ再販されているが、オリジナルの物とは全く違う。

▼昔のミニクーパー



▼新型ミニクーパー



▼昔のフィアット500



▼新型フィアット



イメージを被せての再販であるが、
SUZUKI社のそれは全くのそのままの再販である。

『デザイナーのプライド』


自動車メーカーと同じくオートバイメーカーにもデザイナーが居るわけであるが、
ここで、色々な議論が交わされた。

デザイナーとは新しいデザインの商品をデザインするのが仕事である。
過去の品物をそのまま商品化するのであればデザイナーなんか要らないではないか?

かといって、過去のデザインをリスペクトする精神を忘れてはいけないのも事実である。

その時のデザイナーの仕事は、過去の素晴らしい遺産を再評価することが、
デザイナーとしての仕事であったのか。

デザイナーとしてのプライドを捨ててでもその製品を世に出すことが、
先人の仕事へのリスペクトなのか?

私の中では未だに答えは出ていない。

前置きが長くなってしまったが、
『日本刀』の話である。

凄い!と一言で言えばそれまでであるが、
何百年も前の技術であるのに現代でも最先端の性能を発揮する。

以前、何かのテレビ番組で、ピストルの実弾と日本刀の戦いをやっていた。
結果は日本刀が実弾を二つに別けて終わった。
それだけ日本刀は丈夫で切れ味が凄いのだ。

理由は定かでは無いが、硬い鋼と比較的柔らかく弾性の有る材質の金属の
両方の特性を兼ね備えた結果で有ると考えられる。

しかし飛来する実弾を切り裂くとは何処かのアニメーションの世界観だ、
現実に成るとは誰も想像が付かなかったに違いない。

そして、日本刀は日本語の表現にも影響を与えている。
『元の鞘に収まる』
と言う表現だ。

日本刀はひとつひとつ手作りである。
それで有るが故、その独特の緩い曲線は同じ物は1つとして存在しない。

日本刀の曲線に併せて『鞘』と言うケースを、
これまた各々に合わせて製作するのである。

同じ曲線どうし収まる事が心地よい、
男女の間柄を表した、それ以上の例えようもない日本語らしい表現である。

物を切断するための日本刀、
それが男女の間柄を表すのだから皮肉なものだ。

そしてまた似たような表現がある。
『反りが合わない』

日本刀の曲線に合わせて製作された鞘。
別の日本刀は絶対に入らない。

同じ曲線どうしの組み合わせが人間関係を表す。
反りの合う人はなかなか居ない。
これも日本刀の繊細さと独創性に似ているのかも知れない。

『太刀目盛り』


平らな平面、真っ直ぐな線、正確な円、それらの単純な作業は意外に難しい。
将棋盤の真っ直ぐな黒い線をご存知だろうか?

あの真っ直ぐな線は手作業ではなかなか引く事は出来ない。
そこで先人達が編み出した技術が太刀目盛りである。



日本刀の刃先に漆を塗り、真っ直ぐな線を引いてゆく技術である。
今更ながらこれ以上無いほどの方法である。
機械で引いた線には出せない質感と耐久性があるらしい。

『1滴の重さ』


漢字時計には1部接着剤を使用する。ほんの僅かな量である。
どれくらい僅かな量かと言うと。1000分の1滴ほど。

大袈裟かも知れないが、ほんとにそれくらいの感じだ。
液体の最小限の大きさはどうしても『1滴』になってしまう。

それをどの様にして1000分の1にするかと言うと、
太刀目盛りの方法を真似る訳である。

カッターの刃先に、ほんの僅かに接着剤を付ける。
気が遠くなる程の時間を掛けた作業の最後の方の課程で使用する。

失敗したら初めからやり直し。
緊張の一瞬である。

そんな、事を考えながら漢字時計は製作されていくのである。
近々、新作を御披露目できると思います。


ものつくリスト  小柳 健一