2016/09/02 07:20

『アール ナントカ(何とか)』



アール、と聞いて想像する事は十人十色だと思う。

例えば車好きは、日産スカイラインGT-Rの『R』、
ホンダのインテグラ-タイプR、バイク好きはGSX-RやCBRの『R』、
等を想像すると思う。

興味の欠片も無く、関係ない人には何の事だかサッパリ解らない事だと思う。

これから書こうと思う昔流行ったアール・ナントカも、
私自身は内容をサッパリ理解していないが、
私なりに思う所を書いて見ようと思う。

『時は19世紀』


話の流れで、
この言葉に『ピン!』と来る人にはあまり読んで欲しく無いものだ、
何故なら私の知識の薄っぺらさがバレるからである。

ヌーボー、私が小学生ならば笑ってしまうような言葉の響きである。

ヌーっとして、ボーっとしていそうな、
何処かの人気アニメのキャラクターに有りそうな響きだ。

カタカナで書いたが、本来は『nouveau』
フランス語で『新しい』と言う意味である。

その昔、イタリアのフィアット社が作っていた『フィアット500』と言う車に
『NUOVA 』と言うグレードが存在したが、イタリア語で『新しい』の意味で、
綴りもnouveau と似ているし、語源は同じ物なのだろう。

因みに『NOVA 』も英和辞典を牽くと『新生』と、
新しいに因んだ訳が載っている。

ノバ、イタリア語で新しいの意味であるヌオーバと響きが似ている。

『Art  nouveau 』


アール・ヌーボー、フランス語でこう綴るらしい。
英語ではアート『芸術』をフランス語ではアールと言うみたいだ。

新しい芸術?

その新しい芸術は、
19世紀末にヨーロッパで流行した芸術の総称だそうである。

こう書くと、いわゆる『オタク系』の方々が細かい事を
あーじゃない、こーじゃない、と、言って来そうだが、ここは現代日本で
表現の自由が認められているので、私なりに適当に書かせてもらう。

インターネットでアール・ヌーボーを牽いて見ると、
如何にも昔からのお金持ちの家に有りそうな、草木や花、蝶やトンボを
モチーフにした、優雅でゴージャスなインテリアや絵画がヒットする。





昔の人は『暇』だったんだなぁ、と、歪んだ印象を持ってしまった。

ものつくりは物凄い時間が掛かるもの、私自身がものつくりをしているので、
その膨大な時間の掛け方が想像できる。

現在、世の中はアンティーク・ブームである。

勿論、流行を追ってアンティークを愛でる人も多かろうが、
物を作ってきた我々日本人の遺伝子は、その手間の掛かった職人達の仕事に
芸術を感じてしまうのだろう。

ものつくりに従事してきた人間は、
先人の仕事に時間を忘れてその世界に引き込まれてしまう。

アール・ヌーボー、

例えば、ガラス細工。日本のそれとは明らかに違う。
艶の無い濁った色合い、光を通した時に美しくその存在を知らしめる。





現代のガラスでは透明で綺麗過ぎる。

当時の最高峰の技術の偶然なのか、はたまた感性なのかは解らないが、
現代では出来ないであろう美しさである。

何故現代では出来ないのか?

これは私の勝手な想像である。
現代のものつくりは効率と利益が最優先、マーケティング最優先の
ものつくりをしてしまうので、

『なんとなく』

と言う、数字に出来ない指標の商品はメーカーも作り出せないのだ。

目が飛び出るような値段で取引されるフランス人形。
そのつぶらな瞳はガラス細工で出来ている。

同じ瞳のガラス細工を幾つも作り、出来の良いものを使う。
せっかく作ったガラスの瞳も、殆どが陽の目を見ないで捨てられて行く。

一方現代では、必要な部品を必要な分だけ、正確に速く作られる。
フランス人形の瞳とは正反対の製法である。

日本の陶芸もフランス人形の瞳のそれに若干似た所がある。
ろくろで整形された器は、似た様な物は出来るが同じものは絶対に出来ない。
それはその作り方から容易に想像できる。

似た様な器を取り合えず沢山作り、出来の良いものを残す。
出来の悪いものは割ってその存在を消してしまう。

何故なのか?

焼きあがるまでその仕上がりが解らないからである。

なんとなく、
と言う仕上がりは想像できるが細かい模様や風合いは仕上がらないと解らない。
『偶然の産物』であるからだ。

如何にも日本らしい。

アール・ヌーボーは建築においてもその拘りかたは半端ではない。

手すりや、窓枠、テーブルや椅子、
装飾出来る所は何処であっても装飾の仕事を施す姿勢が、
私達見る側を圧倒する。



例えばテーブルの足、猫足なんぞと称されるが、視覚的な機能以外に意味がない。
しかし視覚的機能は、人には必要なのである。

『Art  deco』


ヨーロッパを席巻したアール・ヌーボーの時代が終わり、
次に時代をリードした芸術様式がアール・デコと言うらしい。

デコとは、デコレーションケーキのデコである。
と、言い切って良いのかどうかは解らないがそう言う事だろうと認識している。

一緒にしてはヨーロッパ人は不愉快やも知れないが、敢えて言わせて貰うと

『デコ・トラ』

のデコと一緒の意味と考えてしまう。

デコレーション・トラック、
かのトラック野郎のトラックである。




書いてから今更ながら思うが、同じデコレーションでも、こうも違う物かと、
センスの差が一目瞭然である。

ヌーボー、デコ、それぞれの時代は豊かであったのだろう。
一部の極端な金持ちが、作りたいものを作る。

費用なんて関係ない。人件費や材料費など、
桁違いの金持ちにはそんなものはたかが知れていたのだろう。

パトロンと言われる
芸術家達の支援者とお互いの利害が合致したと言って良いのか。
金持ちは欲しいものを手に入れ、芸術家達は才能を発揮する場が持てる。

なんて言ったら良いのだろう、
現代の『お金』の価値観とは違う豊かさを想像してしまう。

『現代の芸術』


現代アートと称するのが正しいのかも知れないが、
先程のアールの時代とは大きく違う。

設備や道具も進化を遂げ、
パソコン等も取り入れられて流行りのスピードも二次曲線的に加速して行く。

おおよそ人間の理解能力を越えてしまっているような気がする。
芸術に良しも悪し無いし、結局は人間が楽しむ物なので、
人々に受け入れられなければ存在意義が無くなるだけの話。

しかし、私を含めた愚か者達は世間と向き合いたく、ついつい余計な物を作ってしまう。

『知識的芸術』


なんだが、中国語みたいな表現になってしまった。

私が云うのもなんだが、
『漢字時計』は『ものつくり雑学』の集大成だと考えている。

ジュエリー製作で使う彫金の技術、
一部ではあるが機械式腕時計の技術、
車で言う板金塗装の技術、
道具の使い方や知識、
革の知識、
その他諸々。

知識や技術が芸術を変えて行く。

アール・ヌーボーやアール・デコ、
その昔にヨーロッパを席巻した芸術様式は、
姿、形、花咲く場所を変えてここ日本から始まる。

アルファベット民俗には絶対に出来ない芸術。
敢えて、フランス語で云わせてもらいましょう。

『アール・アンテリジョンス』

その芸術を称する時代を、
アトリエ自由人の漢字時計が先導します。


ものつくリスト  小柳健一